2020年12月2日水曜日

MartinとMnais yvonna (2)

 yvonna やーい!2/2 (Japanese only)

Phu Sam Sunへ                                    私たちはこの yvonna の出会いがあってからは、全てをこのトンボの再発見に費やさすことになりました。翌年、早速5月の連休にフォンサバン東南部の旧シェンクワンの町周辺から探索を始めました。この一帯はベトナム戦争時に米軍の徹底的な爆撃を受けていて、周辺の森林もほとんどが焼き払われています。今も不発弾の事故が絶えず、アメリカの支援を受けて不発弾処理が行われている光景を何回も見ました。私たちは周辺の河川をくまなく、くたくたになりながら見て回りましたが、結局全く収穫はありませんでした。挙句の果てに、案内してくれている友人が、夕食時にクラスター爆弾のように小さな不発弾は雨で河川に流れ込み、堆積していることが多いなどと、真面目な顔をして言い出し、「なぜもっと早く言わんか!」と私たちを怒らせました。

 翌年、さらに2年、3年と、私たちは東へ東へと探索域を広げ、とうとうラオスで2番目に高いPhu Sam Sun山麓へ到達しました。これ以前2010年にこの山を初めて目指しましたが、とんでもない悪路の連続で、さすがに我々の車でも走破が困難で断念したことがありました。そしてその翌年、Phu Sam Sunを超える新しい道が台湾か中国の援助でできました。Phu Sam Sunの峠は2000mを超える標高があります。新しい道のおかげでフォンサバンからわずか2時間でPhu Sam Sunの麓の村に到達できるようになりました。途中には大小の渓流や多数の池沼、湿地が点在します。                                                           

                           毎回、何かが障害として立ちはだかる、今度は橋が落ちた!(photo by Toshi-tyan)

              Phu SamSunへの道、建設中の悪路を行く。なんと道を建設中!
                                                   
              途中の標高800m付近の渓流 ミナミヤンマが見られる

                     標高1200m付近の丘陵地のなだらかな谷に形成された湿地 
( Photo by Toshi-Tyan ) 
                     高地性のIndolestesAgriocnemisAsiagrionなどが生息する。

   Phu Sam Sun 周辺の集落周辺は樹木がほとんど無く、広大な放牧地になっていてます。昆虫相は貧弱のように思っていましたが、ちょっとした湿地や流れにはこの地で初めてみる昆虫類が多いのに驚かされました。トンボも初めてみるものが結構多く、周辺の沢にはこの時期でもミナミヤンマや Idionyx 類なども見れました。

                                                Anisopleura sp. Muang Khun east 50km           
                                     
                                                          
Chlorogomphus hiten  ditto
                                        
                                          湿地に生息する Agriocnemis clauseni ラオスでは高山性のイトトンボ
                                               (photo by Miyahata)           
   
                         未熟の雌 
 (photo by Miyahata)  
              
                                       交尾 
 (photo by Miyahata)      
   
キイロヤマトンボの1種 Macromia murakii の出現                                                       
 SamSun は3つの頂きという意味で、非常に大きな山塊です。2015年4月下旬、この山に取りつく場所は限られ北斜面を流れる大きな沢を遡上しながら懸命に探索しました。しかし、残念ながら目的のカワトンボの姿は見られませんでした。一帯の標高が高いため、途中の湿地や峠付近を流れる渓流で見られるトンボはさすがに平地とは異なり、高山性のミナミアオイトトンボ、IndolestesCaliphaeaMesopodagrion およびダビドサナエ属の未記載種が次々に得られました。これはこれで良いのですが、やはりyvonnaを手にしないことには話になりません。いったいどこに居るのだろう? 

 さらに翌日の探索はとうとうPhu SamSunを越えた小さな町 Muang Mo付近の渓流まで及びました。この日は時間があったため夕刻、近くの渓流に行ってみました。大きな石がゴロゴロしたかなり傾斜がある急流の渓流でしたが、いたるところにアオサナエ(種名は調べていません)がいて、産卵も多数見られました。写真を撮るのに夢中になっていると、何やら後ろを飛び回る大きな影に気が付きました。Macromiaだ!カメラを放りだして網をとると、ここぞとばかりに振りぬき、ガサガサと。やったなんだろう?calliopeかな。取り出してみると、何これ!キイロヤマじゃん。驚きました。こんな大きな岩や石がごろごろした急流にキイロヤマが居るとは。Sam Nua付近では日本の生息地と変わらない環境にキイロヤマトンボの1種Macromia murakiiが居ましたが、こんな渓流にいるとはなかなか納得できません。これもまた別種なのかとも思いました。すぐに、上流にいたToshi-Tyanさんに電話で知らせました(ラオスではどんな山奥でもだいたい携帯が繋がります)。
                     
                      Phu SamSun方面を望む. 頂上はピークの向こうで,まだ見えない ( Photo by Toshi-Tyan )

                      多産するアオサナエ sp.の産卵 2015.5 Baung Mo 
            
             キイロヤマトンボの1種が飛んでくる渓流 ( Photo by Toshi-Tyan )
                      
                                                                           

                Macromia murakii の雄 Sum Nua 産
 
Xam Nua産の Macromia murakii とMo 産の標本の比較
  
 連絡を受けたToshi-Tyanさんは粘った末にあらたな雄を採集することができました。
Macromia murakii は最近記載したキイロヤマトンボの1種で、北部ラオスのXam Nua 近郊がタイプロカリティとなっています。生息環境があまりにも違うので、当初は別種かと思っていましたが、帰国後調べたところ、上にあげた写真の通り、差異はほとんどなく、これもM. murakiiと同定しました。

救世主現る
 さて、目指すyvonnaはついに今年も見つけることができませんでした。数年にわたって本種を求めてきたのですが、さすがに気力もお金もなくなりそうでした。特に後者は痛い。ラオスの友人も何か責任を感じて、一生懸命に尽くしてくれるのですが。そんな時に、突然ある方からメールを頂きました。ラオスのトンボリストを見たそうで、聞けばリストにある Mnais sp. 1は3月中旬にPhu Sam Sunで多数採れているというのです。これにはひっくりかえるほどに仰天しました。正直パソコンのメールの文字がかすれて見えました。何で3月なんだ!聞けば、本種は3月いっぱい見られ、4月には居なくなるとのこと。じゃあ、私たちはこの数年、何をやっていたのか!さらにご厚意に甘えて、採集した地点まで教えていただきました(この方はチョウの有名な研究者で、ついでに採れるトンボを関西のK氏に送っていたとのこと)。教えられた地点は、私たちが何度も足を運んだその場所そのものでした。あそこにいたのか!何か宙に浮いたような気分になりながら、腑抜けのような状態で皆に連絡しました。まさに救世主、天の声でした。三角紙に書かれた5月中旬の文字に完全に惑わされていました。

 翌年3月、この天の声に導かれて、ついに私たちは5年の歳月を費やして本懐を遂げることとなったのです。この時、このポイント(標高約1500m)には2種のMnaisが居ました。透明の翅を持つincolor と黒バンドのyvonnaです。これは、やはりyvonnaは単なる型なのかなと思いました。しかし、両種ははっきりと生息地が分かれているようにも見えました。より上流部にincolorが、下流にyvonnaです。数はとても少なく、ごちゃごちゃ居ると伺った状況とは異なり、incolorが4 頭、yvonnaが3頭しか目撃できませんでした。生態的な観察はほとんどできません。なにより採ることが優先でしたから。でも若干の観察から分かったのは、このトンボは陽が陰るとすぐに周辺の木々の樹上に上がってしまい、陽が射すとまた降りて来るのです。決して木の葉や、枝には止まらず、必ず川中や岸辺の大きな岩の上に止まりました。止まる場合、体を石に密着させます。Mnais 属ではあまり見ない生態だと思います。
                     
                           Locality of M. incolor and M. yvonna (Alt. 1600m)
                                                                                         
                                Mnais of Phu Sam Sun: M. mneme, above, M. tenuis, middle, M. incolor, below.

 今回は写真を撮る余裕がありませんででした。ぜひ、次回は交尾や産卵を観察したいと思いました。また、同じ場所では午前中待っていると、次々に大きなMacromiaが飛んで来ます。3月にすでに出ているのです。こんな肌寒い時期に、なんだろうと、苦労して採集してみると良くわからない種が網に入っていました。この時期にはタイワンシオヤトンボも多く、気温も20℃程度で日本の早春のような日和でした。ここは本当にラオスなんですかねえ。
 私たちはその後、再び調査のために当地をおとずれましたが、先に記したように天候に恵まれず、再会を果たせないままです。この間 Phu Sum Sunはラオスのなかでも最も自然環境が残されている地域なのですが、あっという間に開発の波が押し寄せ、深く緑濃い渓流や広大な湿地が、ダムや土砂採掘の場に変わり、みるみる環境が激変していきました。その環境破壊には驚かされました。はたして次回訪れる時まで、トンボたちは生き残っているのでしょうかとても心配です。










      

2020年11月19日木曜日

MartinとMnais yvonna (1)

 MartinとMnais yvonna 1/2 (Japanese only)

20126月のある夜、私はラオス仲間のToshi-Tyanさんから、フォンサバン南部とラベルされたカワトンボを手に入れたので、見てみるかいと連絡を受けた。フォンサバンならタイワンカワトンボか何かだろうと思い、不覚にもこの時は正直ほとんど期待していなかった。数日後、送られてきた箱を開けて、「あっと驚く為五郎!えっ、えっ gregoryi だ!本当にラオス産なの、中国のじゃね?」しかしラベルはフォンサバンの南東、5月下旬に採集としっかり記されていた。私はこれまでCalopteryx laosica と本種 Mnais gregoryi (ラオス産)を最大の目的種として、ラオス各地で調査を続けてきたが、両種とも全くその姿を見ることができないばかりか生息の僅かな痕跡も見出すことができなかった。今、目の前に正しくその正真正銘のgregoryiがあるのだ。興奮で脳梗塞を起こしそうになりながら、このToshi-Tyanさんからの思いもよらないカワトンボに見入った。しばらくすると、どうも、何か腑に落ちない。なんだろう?この不自然さは。と、変な思いが徐々に頭をもたげてきた。はて、待てよ。と、ある文献の写真が思い起こされた。確か朝比奈先生の、、、、。記憶をたどって、文献を探すとトンボ学会誌Tombo17(1974)に、あった!全く同じものが。

      写真1. パリ自然史博物館に保存されているラオス産カワトンボ Asahina (1974) より

このAsahina 論文は中国を主に、東南アジアをも含めたカワトンボ属の検討をMnais gregoryiの視点からおこなったもので、それまでこの地域で記載された数種のカワトンボの多くがgregoryiに整理されるとしたものである。この中にラオスから記録されたカワトンボ2種が含まれていて、そのうち1種が今回送られてきた標本と一致するのだ。朝比奈博士は1973年にヨーロッパ各地の博物館を訪ね、所蔵されているトンボ類の調査を行った。中でもパリの自然史博物館では、日本のトンボで馴染みの深いマルタン(Martin)のコレクションを調べ、その中にラオスから採集された2種類のカワトンボの標本を見いだした。博士はそれらの特徴を記録し、写真を撮って後にgregoryiとの比較を行った。

                                                                                                                                                      写真2 送られてきたフォンサバン南東で得られたMnais sp.                                         

                                                                                                        写真3 中國四川省産Mnais gregoryi

このマルタンコレクションの標本については少々ややこしくなってくるので少し触れておく必要があるだろう。先に示した写真1の標本はマルタンが新種として記載を考えていたらしく、朝比奈博士が写された写真にはタイプラベルとyvonna(以下この種名を便宜上使用する)という種名を記したラベルが写っている。しかし、実際にはなぜか記載はされていない(憶測だが、この時期はマルタンがフランスを離れる時期でもあり、記載の準備は整ったものの、投稿までは時間がなかったものと思われる。あるいは、片方の1種の方はincolorとして新種記載したが、この後、このyvonna を incolor(これは翅が透明)に対する単なる同種の黒バンド型と考え直したのではないだろうか)。この yvonna なるカワトンボは朝比奈博士の論文でgregoryi に含まれるものとして整理されている。このことが以来、ラオスにはgregoryi が分布しているという根拠となったようだ。

あらためて送られてきたカワトンボを四川省産のgregoryiと比べてみる。確かに印象はよく似ている (写真2,3)。しかし黒いバンドの大きさや、何よりgregoryiにみられるバンドから先端部にかけて広がる白いチョーク状の白濁バンドが、ラオス産にはない。さらに決定的なのは、尾部付属器やペニスが全く異なる。このことから両者は別種であるとするのが妥当だと思う。朝比奈博士が調べたパリの標本は残念ながら尾部が失われていて、比較しようがなかった。ラオスにgregoryiが分布することは、私見ではあるが今のところ否定されよう。これを踏まえてリストからは削除してある。

Martinが先に新種記載したincolorはこの送られてきたyvonna(実際には名無しの権兵衛なのだが、便宜上yvonnaの名を使います。私はincoloryvonnaは別種だとして、以下の文章を書いています。でも最近自信が無くなって、DNAの分析をお願いしました)と体形が良く似ていて共にがっちりしていて大きい。ラオスに広く分布する M. andersonimneme および tenuis などのオレンジ翅の型を持つグループとは明らかに異なる。yvonnaの採集地については単にLaosとラベルされているのみで、その詳細な採集地は現在まで分からなかった。その後得られることもなかったことから、今回、ほぼ1世紀ぶりにyvonnaと同一種が採集されたことになる。

さて、話変わってマルタンヤンマの名で有名なマルタンのトンボ学者としての評価は日本ではあまりかんばしくない。それは彼が記載した非常に多くのトンボは、その記載文にほとんど図が付いていないこと、また、記載の記述が大雑把すぎることなどが理由にあげられているようだ。はたしてそうだろうか?マルタンの記載はそんなにいい加減な代物だったのだろうか?

                   

                              Pene Martin (1846-1925)

彼は1907年にトンキン(北ベトナム)産のコヤマトンボの仲間、Macromia pyramidalisを記載しているが、 Lieftinckはパリの自然史博物館にそのタイプ標本が見当たらないため、pazzledと記していて、あまり信用していない節がある。しかし、マルタンの記載は、なるほど簡単に記述されていてはいるが、形態の特徴は要点を簡潔に記述してある。近年ラオス、ベトナムのトンボ相が次第に明らかになって多数のMacromia属が広く得られるようになり、本属に関する知見は飛躍的に増えた。そうした観点でタイ北部からラオス中、北部そしてベトナム北部に分布するMacromis 属を見てみると、マルタンの記載にあるような特徴を持つ種はpinnratani しか該当しないでのである。この種はラオス・ベトナム北部に割と普通に分布する。したがって1983年に朝比奈先生がタイ産の標本で新種記載したMpinnratani は先にマルタンが記載したpyramidalisそのものではないか、pinnratani はpyramidalisのシノニムだと強く思うようになった。パリの自然史博物館のマルタンコレクションが現在どのように管理されているかは分からない。かつて朝比奈先生は戦後間もなくヨーロッパに外遊した時(1954)、マルタンコレクションに当たり、そのコレクションについて、タイプ標本の印が無いものが多く、探すのは相当難儀すると述べていることから、Lieftickが訪れた時には見つけられなかったのかも知れない。タイプ標本の所在が明らかになれば、マルタンの新種記載が決していい加減なものでなかったことが証明されるだろう。

マルタンはSelys、Ris、Williamson、 Needham、 Tillyardなど蒼々たる初期のトンボ分類学者と親交が深く、特に、Selysが亡くなってから、RisForesterと共にSelysの膨大なコレクションのカタログを作成するにあたり、中心的な役割をはたしている。マルタンの業績は新種記載が主であり、それはSelysの初期の分類体系を踏襲していた。また、彼の研究は特定の地域に留まらず、アフリカ、中東、インドシナ、ニューギニア、オーストラリア、中米そして南アメリカにおけるトンボを対象として、生涯165種の新種および亜種を記載し、18の新属を設けた。今日ラオスやベトナムのトンボが明らかになるにつれ、むしろマルタンが果たした当時のトンボ研究を再評価すべきではないかと私は思う。彼は一流の採集家であり、多くのトンボに精通し、そして一流の研究者でもあったとみるべきではないだろうか。

最後に、1927年発行のEntomological News掲載のマルタンの追悼記事から彼の経歴を紹介し、この拙文(その1)を閉じたい。なおマルタンに関する貴重な文献をお送り頂いた、千葉県の故成瀬幹也氏、今回のラオス産カワトンボの調査の機会を与えて頂き、さらにM.gregoryiの標本を提供して頂いたToshi-Tyanさんに心からお礼申し上げる。

 マルタンの経歴

184665日フランス,ヴィエンヌ県(現イーゼル県)シャテルローに生まれる。

1866-1870年パリで法律を学ぶ。

1870-1871年プロシア・フランス戦争に従軍。

187110月結婚

1876-1907年パリ近郊のル・ブランに新居を構える(この間,新種記載やモノグラフの制作を精力的に行う)

18941月ベルギーのM.de Selys-Longchampsを訪問。初めてその膨大なコレクションに接する。以後親交を深める。

18976月所持していた銃の暴発で右指を失い,右腕に深い傷を負い,一時死にかける。

190011月最愛の妻が死去。

同年12 M.de Selys-Longchanpsの死に接し,深く悲しむ(この直後から.Selysが残した膨大な標本のカタログを作る案が浮上してRisがトンボ科,マルタンがエゾトンボ科とヤンマ科,Forsterがイトトンボ科を担当することになった)

19084月 パリに移り住む。

1914-182人の息子を大戦で失う。

1920年マルタン個人の大コレクションをパリ自然史博物館に寄贈したのち,チリのサンチアゴに嫁いだ娘を頼って,チリに渡る。

1925820日脳溢血によりサンチアゴとバルバライソの間にある小さな村ビラアレマナで死去。


このページは、ふくしまの虫30号 (2012) に掲載した内容を一部改変、加筆したものです。

 



2020年11月11日水曜日

Davidius Mystery (3)

 続き

 Ris (1916)は、これまでSelysが記載してきたDavidius亜属の3種の雌雄に共通する特徴を、後翅の三角室に横脈があるとする定義には問題があり、確かにその傾向はあるが一貫性は認められないとした。さらに生殖器および尾部付属器の特徴を定義する必要性を説き、共通する特徴に上付属器の腹側に大きな突起があること、生殖後鈎が爪のように曲がって基部が板状に広がるとしている。

Fraser (1936) はDavidius属が後翅の三角室に1本の横脈を持ち、さらに後翅脈CuiiとIAが後縁に近づくほど2者の間隔は広がる特徴をあげ、これらを識別点としている。なお、この論文で彼はRisが記載したDavidius cuniclus(ダビトサナエのシノニム)はD. aterそのものではないかと述べており、朝比奈博士はこの記述もあって、aterを調べたのかも知れない。軍医であったFraserの研究がトンボ界に与えた影響は計り知れない。

それで何がどーなるのか  

さて、Selys (1878)によってDavidius属が設立された。この時、この属に含まれる種はD. zallorensis、nanus、bicornutus(この種は2019年にKarubeとKatataniによってDubitogomphus属に移された)、davidiおよびater、の5種であった。これらの分布はチベット、中国西部、北部さらに日本(nanusとater) で、全てが前翅の三角室に横脈が無く、後翅三角室に1本の横脈を持つという基準で区別された。この属のタイプはdavidiで雌個体である。このタイプの形態が、ダビトサナエnaunsとほぼ変わらない形態を持つものと想定するとするならば、この属の形態的な特徴は前後翅の結節前横脈と結節後横脈数9~13本ぐらいで、後翅の三角室に1本の横脈を持ち(持つことが多い)、さらに翅脈CuiiとIAが後縁に近づくほど2者の間隔は広がる。また雄の生殖後鈎の爪が大きくカーブし長く、大きく突出する。さらに生殖後鈎自体の幅はさほど広くないことなどが挙げられる。尾部付属器は黒色が多い。また、雄の第7腹節の後縁腹部側に微細な歯が密生する突出部がある。この他にネパールと北インドからのaberrans、delineatusもこれらの特徴を有する。そこでとりあえず、これらの種群をひとくくりに原亜種グループとしてまとめることにする。

その後、1904年にDavidius fruhstorferiがMartinによってベトナム北部から記載された。この種は原亜種グループの種群とかなり異なる形質を有する種である。にもかかわらず、MartinはこれをDavidius 属とした。この理由は、たぶんMartinはSelysと親交が深かったため、Selysに従った分類基準でfruhstorferiをDavidius属に処置したものと思われる。このトンボの特徴は、より小型。スリムで華奢な形態をしており、雄は尾部付属器が白~暗褐色、生殖後鈎は独特な形状でブーツのような形でかかとの部分に小さく鋭い突起を持つなどnanus などの原亜種グループとはかなり異なる。この様な特徴を持つ種は中国南部産の trox、delineatus、squarrosus および zhoui等が挙げられ、さらにベトナムからの monastyrskiiなど1904年以降に中国南部およびインドシナから記録された全ての種の新種記載がfruhstorferiを比較対象としている。マルタンのfruhstorferiの記載が、その後のDavidius 属の新種記載に重要な影響を及ぼしていることが分かる。これらを一応 Davidius属とし、その種群を仮にfruhstorferi グループとして扱えば、このグループの生息地はインドシナ~中国南部のおおむね北緯26度以南に分布する。                  

                       同じDavidius属のトンボ? 上がダビトサナエ Davidius nanus(須賀川市岩瀬産)、
                   下が Davidius fruhstorferi (Laos),
                       Do the two dragonflies belong to the same genus? Above: D. nanus Below:       
                       D. fruhstorferi 

ダビドサナエ(上)とfruhstorferi(下)生殖後鈎
                                  Posterior hamulus comparison, above: D. nanus, below: D. fruhstorferi

結論

ラオスのDavidius fruhstorferi の産卵様式が日本国内のダビドサナエとは全く異なることから、両地域に生息する種は同じDavidius属なのかについて調べてみたところ、既知のDavidius属は2つのグループに分けられ、北緯26度あたりを境に北の種群と南の種群があることが分かりました。両者の形態については大きな差異があって、東南アジア~中国南部に分布する種群 D. fruhstorferi グループは今後の研究次第ではDvidius属から別れて、別属(新設)になるんじゃないかな。と思うのですが。どうでしょう?だれかやって~!

Since the oviposition style of Davidius fruhstorferi in Laos is completely different from that of Davidius nanus in Japan. Therefore, I investigated the morphological characteristics of all species of the genus Davidius. As a result, it was found that the genus Davidius can be divided into two species groups at latitude 26 degrees north. The species of South China and Indochina may be divided into new genera. 


<おわり>







ラオスで観察した

2020年11月4日水曜日

Davidius Mystery (2)

日本産ダビドサナエのおさらい (Japanese only)

先のページで日本産とラオス産のダビドサナエ属の産卵様式は異なっていることを述べましたが、もしかしたら属レベルで異なったものではないかと思えてきました。これからはこの考えに基づいて、検証をおこなっていきたいと思います。まずは、ダビドサナエはどのように今の学名になったのかを知る必要があるでしょう。まず、そこからです。調べてみると色々出てきました。調べていくにつれ、改めて朝比奈博士の偉大さに敬服することになりました。

ダビドサナエの学名の変遷

1 日本産ダビトサナエ属におけるダビドサナエの記載に関する関係文献と現在の学名になるまでの経緯、時系列で書き出せば以下のとおり

(1) Hagenius? nanus Selys, 1869  
Author:  de Selys Longchamps, E.
Year:    1869
Title:    Secondes additions au synopsis des Gomphines.
Source:  Bulletin de l'Académie royale de Belgique (Série 2): 28 (8): 168-208.
日本産の雌標本を基に、当時1属1種から成るHagenius属の新しい1種として記載された。属のタイプ種であるHagenius brevistylusは1854年にselys自身が命名した北米産の大型サナエである。なぜこの属に日本産小型サナエのnanusを含めたのかいぶかしむ。この点についてはSelys本人も多少引っかかっていたのか記述の中で、日本の産地はアメリカのHagenius brevistylusの生息地と非常に異なり、新しい亜属をもうける等の処置が必要かもしれないと述べている。

(2) Davidius davidii Selys, 1878
Author:  de Selys Longchamps, E.
Year:    1878
Title:    Quatrièmes additions au synopsis des gomphines. (II).
Source:  Bulletin de l'Académie royale de Belgique (Série 2): 46 (12): 659-698.
Davidius属が新設され、Hagenius? Nanusもこの属に含まれるとした論文。あらたに日本(Jeddo)からD.? aterを記載している。

(3)   Davidius nanus (Selys, 1869)    
Author:  de Selys Longchamps, E.
Year:    1883
Title:    Les Odonates du Japon.
Source:  Annls Soc. Ent, Belg. 27: 82-143.     
日本のトンボと題打った論文で、67種を記録し、さらに新種4種を報告している。Davidius属はダビドサナエD. nanusとD.? alerの2種が記載されている。

(4) Davidius nanus (Selys, 1869)
Author:  de Selys Longchamps, E.
Year:    1894
Title:    Causeries Odonatalogiques
Source:  Annls Soc. Ent. Belg. 38: 163-181. 1894  
この論文で初めて雄が記載された。しかし朝比奈1957:新昆虫 10 (6) 51-58)によれば、この最初のダビドサナエの雄、実はクロサナエの雄であったという。ダビドサナエ雄を正確に記載したのはRis (1916)で、Risもまたこれをダビドサナエとは知らず、Davidius cuniclusとして新種記載した。
一方、Selys (1878)の論文中のDavidius ater(Jeddo、Japonにて採集された雌雄が記載されているが共に腹部が失われている)は、朝比奈博士自身が大英博物館やブリュッセルのSelysコレクションなどで対象標本を調査し、またLieftinckとの文通の結果、これはダビドサナエD. nanusそのものであったと結論している。さらにOguma (1926) が雌で記載したD. hakiensisは引用できないとしている( すでにAsahina, 1950でD. nanusのシノニムと処置さていた)。
近年Hamalainen & Sasamoto (2006)はこれらを踏まえ、総括としてD. ater, cuniclusおよびhskiensisを改めてダビトサナエ D. nanusのシノニムとして記載した。しかしこの朝比奈(1957)の一文を拾い上げた笹本博士の慧眼とHamalainen博士の考証力にはただただ頭が下がる思いです。我々には絶対気が付かないことですから。

(5) Davidius cuniclus Ris, 1916
Author: Ris, F.
Year: 1916
Title: H. Sauter’s Formosa-Ausbeute: Odonata.
Source:     Suppl. Ent., 5:1-80.
Davidius cunilusを新種として記載したが、これはAsahina (1950)によってダビドサナエであったことが報告された。よって本種はシノニムとなる。

(6) Davidius fujiama Fraser, 1936
Author: Fraser, F. C.
Year: 1936
Title:  Odonata collected in Japan, with the description of three new species.
Source: Transactions of the Royal Entomological Society of London: 85 (5): 141-156, figs. 1-6.
1934年の5~7月にFreser自身が来日して各地で採集した記録、リスト。いくつかの新種記載を含む。日本で採集したDavidius属は新種記載したクロサナエとRisがすでに日本から記載していたD. cuniclusがあり、いずれも日光で得られている。

ダビトサナエが、現在の学名Davidius nanusに落ち着くまでは紆余曲折があったのは上述の朝比奈(1957)にあるとおりだが、改めて整理すると以下のようになる。

1 Hagenius? Nanusが記載される。 
Selys, L. (1869) Bulletin de l'Académie royale de Belgique (Série 2): 28 (8): 168-208.

2 Selys, L. (1878) Bulletin de l'Académie royale de Belgique (Série 2): 46 (12): 659-698.の中で、Davidius属が新設されて、その後、Kirby (1890)*によってGenotypeとしてDavidius davidii(チベット産)が当てられた。同時にダビドサナエHagenius? Nanus Selys, 1869としていたものをDavidius nanus (Selys, 1869)に変更した。また、新たな日本産D. aterが記載された。
*(A synonymic catalogue of Neuroptera Odonata, or dragon-flies. With an appendix of fossil species. p202, London)。

3 Selys, L. (1894) Annls Soc. Ent. Belg. 38: 163-181. 1894.においてダビドサナエDavidius nanus の雄が記載された(前述のようにこれはクロサナエの雄)。

4 Ris (1916) によってDavidius cuniclusが記載されたが、これはダビトサナエのシノニムとなる。しかし雄を詳細に記載したものとなる。

5 Fraser (1936)が日本で各地を採集して回り、クロサナエを新種記載した。

2 Davidius 属のKeyとなる特徴について
 さて、次に、何をもってダビトサナエ属としたのか、その形態的特徴とは何なのかを明らかにする必要があるでしょう。それぞれの記載文を見ていくことにします。

   Selysは1869年、ダビドサナエをHagenius? Nanusとしつつも、確信が持てず、?を付けた。Hagenius属としたその最大の根拠は後翅三角室に1本の横脈があることであったと思われる。当時、Selysはサナエトンボ類を12属に分類していているが、ミナミヤンマ、オニヤンマさらにムカシヤンマなども含めている。当然これらは論外であったろうし、ウチワヤンマやオオサナエの仲間は横脈数が多いことから対象とはならなかったはずである。三角室に1本の横脈がある属を他に当たれば、Gomphus属は2、3の亜属に横脈が見られるが、三角室の大きさや向きが違ったりして一致しない。残るGomphoides属は4亜属で構成されるが、横脈が1本なのはHagenius亜属のみであるが、これとて斑紋や、さらに前翅三角室にも1本の横脈があること、生息地が平地の止水域だったり、まして北米と両産地が隔絶していることなどから、さすがのSelysも確信が持てなかったのだと思う。
 
1878年、Selysは新たにDavidius属を設けた。ここでは最大の識別点である翅脈について、前翅の三角室には横脈はなく、後翅三角室には1本の横脈があるとし、その他縁紋の大きさや肛角の形について述べている。この論文でHagenius? nanusがDavidius属に移された。
 1894年にSelysはDavidius nanusの雄を追加記載して、実際にはクロサナエではあったのだが、やや詳しく翅脈についてに記述した。それには前翅上三角室に横脈はなく、三角室にもない。一方、後翅三角室には横脈があって、亜三角室にはない等が記述されている。
 
 Ris (1916)以降は次回。
つづく。







 


























2020年10月29日木曜日

Davidius Mystery (1)

ダビトサナエ属の謎(1)(Japanese only)

コロナ過のあおりで、ラオスへの道が絶たれ、必然的に国内のトンボをまた見るようになりました。もっとも名前を忘れてしまうほどの状態だったのですが、写真を撮るのに通っていると、意外にラオスと共通種も多いと、改めて再認識することになります。しかし、「あれ、こうだったっけか?」というような状況を観察することもあり、その分、新鮮さを感じたりします。また、納得いかないことがらも出てきます(同じ種なんだけどラオスと日本で違うなど)。以下はそのなかで気になったダビトサナエ属についてです。調べながら書きますので結論がどうなるかはわかりませんし、内容的にあまりおもしろくないものになりそうだと予感します。掲載間隔は少し開くかもしれません。関心があれば読んでください。

さて、下はごく普通のクロサナエの産卵です。渓流脇の苔むした石の上や草付きにホバリングしながら産卵をおこなう本属共通の産卵様式です。 

       クロサナエの産卵 いわき市三和町  2019.5.28 Oviposition of  Davidius fujiama 

一方ラオス でダビトサナエの1種Davidius fruhstorferiを撮影していた時、はたと気づいたことがありました。ラオスのダビトサナエ属は2種が記録されており、いずれも山深く標高800m以上の森林に生息し、非常に個体数が少ない種です(ベトナムでは多いようですが)。この中で、Davidius fruhstorferi の雄は非常に小型で、ヒメクロサナエが縄張りを張るような、水がしみ流れている斜面の石や枯葉などに止まって雌を待ちます。雌は飛来すると直接、斜面に止まり尾端をいきなり土に付けて産卵を始めます。ほとんど動かず、一定時間産卵するとわずかに飛んで、また尾端を土に付けて産卵します。この行動はヒメクロサナエの産卵と全く同じです。私が知る限り、このように土に直接産卵するサナエ類は世界中でヒメクロサナエ属だけであったように思います。同じダビトサナエ属でこれほど違った産卵生態を有することはいかにラオスと日本が離れているとはいえ、あり得るのでしょうか?何かちょっと引っ掛かり、今まで気にもしていなかった日本のダビドサナエ属との関係を詳しく見てみる必要を感じました。                     

          産卵場所の脇で雌を待つ Davidius fruhstorferi 雄 Phu San 2014.4.29                                                       
                     産卵する Davidius fruhstorferi 雌   Oviposition of Davidius fruhstorferi                      

                         同上 ditto

Currently, three species of the genus Davidius are known in Japan, all of which are endemic species. Two small size species are distributed in the highlands of Laos. The oviposition of this genus in Japan is a style in which eggs are dropped while hovering. On the other hand,  Davidius fruhstorferi in Laos was observed to land directly at the oviposition site and laying eggs on the soil surface. The male perched at the fallen leaves or dead branches at the spawning ground and waited for the female.  This behavior is oviposition-style to be seen in Lanthus fujiacus.  I was very interested in having different oviposition patterns within the same genus. 









                    

2020年10月23日金曜日

Photo gallery of Lao dragonflies (3)

    Exploration of Lao dragonflies in October 2019 (3/3) 

最後の目的地のロンサン(Lonsan)へは、まずシェンクワンから南に約180kmのPaksanに出て、そこから国道13号をビエンチャン方面に50km、Thabokを目指します。ここまで車で約5時間。さらにそこから北のサイソンブン県チャ(Cha)に向かって約50km進むと、やっと懐かしのロンサンです。20年前は来れませんでした。当時はまだ反政府ゲリラがこの一帯に潜み、しばしば軍と戦闘を交えていましたし、時には定期バスが襲撃されたりして、結構緊張を強いられました。この近くに行く場合は、必ず車にAK47自動小銃を積んで行ったものでした。            

Lonsan is 50 km north of Thabok (about an hour's drive from Vientiane). There are few natural forests left in this area, but many interesting dragonflies can be seen in the few remaining natural forests.The route from Thabok to Cha was very dangerous 10 years ago due to the rebela guerrillas' darkening, but is now safer with the development of gold mines.

              ロンサンの町そしてサイソンブンの山々を望む
                        Overlooking the town of Lonsan and the mountains of Saysomboune

ロンサンに至る道沿いでこれまで5~8月にかけて何回かムモンギンヤンマを見かけていました。以前、ラオスの親友からビエンチャン周辺で採ったという、多数の本種が串刺しになって送られてきました。日付を見ると10月中旬でした。そこで今回の旅行はこの時期に決めた経緯がありました。ぜひこの目で交尾と産卵行動を見てみようと。

このタボックからロンサンさらに県都チャに至る道路は日本のODAによって建設されたと言います。日本は道路のインフラのみ援助したわけですが、実はチャの西方の山々には巨大な金鉱脈が眠っていて(日本はそれを事前に知っていたかは分かりません)、その後、採掘権をオーストラリアの鉱山会社が取得して、この整備された道路を大いに活用して一大開発がおこなわれました。全く日本はお人好しだとラオスの友人は笑っていました。しかしこの一帯は反政府ゲリラの巣窟になっていたため、開発はゲリラ掃討との闘いでもあったようです。しかし結局、要はお金なんですね。巨大な金鉱山、労働力はどうしても地元に求めざるを得ません。そこで反政府ゲリラの人たちを最終的に雇用し、多くの人たちがこれに応じ、それまで難しかった現金収入の道を開き、一挙にこの地域は平穏になっていったというわけです ( 今はチャの周辺、特にラオス最高峰のビア山は現在もゲリラが立てこもって軍隊と対峙しています。なぜ社会主義国のラオスに反政府勢力が存在するのかは、全てがベトナム戦争とアメリカの政策が原因となっています。このへんはラオスの昆虫に興味があって、ラオスに行きたい気持ちがある人はぜひ理解しておく必要があります)。

                     
                   金鉱山と脇に作られた重金属で汚染された湖  Gold mine and polluted lake

ロンサン周辺の河川は石灰岩の岩盤を流れ、河床に土砂や有機物が厚く堆積することが少なく、大型のサナエ、ヤマトンボ類は少ないようです。また、森林も多くが2次林を占め、自然林は伐採が困難な山の急斜面にわずかに残されています。こうした渓流にもNoguchiphaea属、Philoganga属、Rhinocypha属、Cepharaeschna属、さらに森林性のトンボ科のトンボが多数見られ、かつてのこの地域のトンボ相がいかに豊かであったかを物語っています。

                                                              
      ロンサンの山々とその渓流  Lonsan mountains and their mountain streams

この地で最も注目されるのがのNoguchiphaeaです。ロンサンの本種は Noguchiphaea laoticaラオスの名が種名につけられています(Sasamoto, at al., 2019)*。このトンボは完全に森林性のトンボで生息環境は薄暗く、湿った森に住みます。成虫は暗い森林の中でわずかに陽が差す、木漏れ日が当たるような、高さが目の高さぐらいの木々の枝先の葉に止まって雌の産卵を待ちます。陽が陰ると樹上に上がってしまいます。生息地のロンサンの小さな渓流では個体数が少なく観察がとても困難でしたが、産卵をかろうじて見ることができました。暗い渓流の流れの脇にあった枯れた植物の茎に雌が飛来して産卵を行うのを観察できました。

以前、生きた枝に産卵するのを観察しました。その時の雌の行動はこうです。雌は雄がいないのを見計らってか、たまたま雄がその場を開けたのかはっきりしませんが、雄がテリトリーを張っていた場所にいきなり樹上から降りてきて、近くの葉に止まりました。しばらく静止していましたが流れに沿って低く飛んだと思ったら、今度は流れの上に張り出した植物の枝に止まり(高さは2mほど)産卵を始めました。産卵は10分以上続いたと思います。このトンボの産卵は水中にある朽木や根を対象にはせず、水面から離れた植物に産卵するようです。最近Noguchiphaea属は広く北部インドシナ半島に分布することがわかってきて、ラオスでもこの他、チャやラクサオからも得られています(既知の種とは異なるように見えます)。

Noguchiphaea is a typical dragonfly in this area. We knew very little about the ecology of this dragonfly. The egg-laying site is the dead branch or living branch of plant away from the water surface.

Akihiko Sasamoto, Naoto Yokoi, Vilaysak Souphanthong, Quoc Toan Phan & Ryo Futahashi  (2019) Discovery of a third species of the genus Noguchiphaea Asahina, 1976- Noguchiphaea laotica sp. n. from Laos (Odonata: Calopterygidae). International Journal of Odonatology 22(1): 59--71.  


     
       Noguchiphaea laotica male and female 2010.10.12 (photo by Yokoi )

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Oviposition 2019.10.16 (Photo by Miyahata)

Oviposition 2010.10.12(Photo by Yokoi)

Indocnemis orang male 2019. 10.15 (Photo by Miyahata)

ロンサンの宿舎は小高い丘の上にあって、非常に快適です。ここに来ると皆それまでの成果を整理したり、洗濯したりして思い思いの時間を過ごします。食事はロンサンの町のいつもの店で食べましたが、田舎らしい食べ物に出会う機会もありました。写真はミツバチの1種です。巣に岩塩を擦りつけて炭火で焼き、熱々を食べます。甘くクリーミーな味はちょっとやみつきになりそうでした。ただあまり食べると夜、寝られなくなるそうです。 
                                                                   
                  ロンサンの宿舎 Loncin's dormitory 

             ハチの子の焼き Charcoal-grilled beehive with salt 

ロンサン一帯の森林内を流れる渓流には、秋に出現するNoguchiphaea以外に春期にみられるような多種多様な種類は確認できませんでした。そこで、ついに最後の楽しみとしてとっておいたムモンギンヤンマの探索を行う羽目に早々と追い込まれてしまいました。以前このヤンマはロンサンに至る途中の岩肌を流れる渓流で見ていたので、まずそこへ行ってみました。この時期にはうじゃうじゃいるだろうと胸を膨らませていたのですが、意に反し一匹も飛んでいません。「Toshi-tyan」はこのトンボを捕りに来ているぐらいですから、内心穏やかではありません。早速、感を頼りに新たな生息地を探します。日本出発前にグーグルアースを見ていて気になった場所が近くにあったので、まずそこへ向かいました。着いてみるとその場所は思っていた以上に環境が良く、いかにもムモンギンヤンマが飛びそうな雰囲気がありました。渓流に降り立った直後、本種らしいトンボが川を横切っていきました。これは幸先ががいい。しかしそう思ったのは糠喜びでした。その後は1匹も見ることができませんでした。この日採集したのはToshi-tyanでした。とても新鮮な雄個体でした。時期が間違っていたのか、場所が見当違いなのか、とにかく確認できたのはこの1頭のみでした。
                     
              
           River flowing through the bedrock (Photo by Toshi-tyan )

Anax  immaculifrons 2020. 10.17 (Taken by Toshi-tyan)

Rhinagrion mima is very common in this river. (Photo by Miyahata)

ロンサンには1日のみ滞在し、早々にムモンギンヤンマの総本山ビエンチャンの生息地に向かいました2019年10月17日のことです。翌日から丸2日ビエンチャンの北30kmの山肌を流れる渓流で本種を探しました。写真がかつて多産した場所らしいのですが、当時と景観が違っていて、周辺の森が全て伐採され、バンガロー(といっても簡単な休憩所)が立ち並ぶ風景に、のっけから出鼻をくじかれる思いがしました。本当にここかい?早速沢に入って様子を伺います。確かにヤンマらしいのが時折飛んで来ますが良くわかりません。そのうちまた、「Toshi-tyan」が奇声をあげました。今度は雌だと。なぜ、またToshi-tyanなんでしょう。やはり意気込みがちがうのでしょうか。観察を続けるうちに、飛んでくるのは下流からで、同じ場所から川の外に出て、林の中に入っていく個体が多いことがわかりました。渓流に面した木々を見ていくと、オオヤマトンボの1種 Epophthalmia vittata  sundanaが止まっていました。あれあれ、もしかすると渓流を時々飛んでくるのはこれでは?そのうちまたToshi-tyanがムモンギンを採りました。しかし手にしているのはEpophthalmia vittata  sundanaそのものでした。どうやら、このトンボをムモンギンヤンマだと皆が信じ込んでいたようです。

結局、今回ムモンギンヤンマを最大の目標にラオスに来ましたが、この時期は本種はもちろん他のトンボ(渓流性)も全く見ることができず、期待はずれに終わってしまいました。ただ、ムモンギンヤンマについては採集した個体がいずれも新鮮であったことや、雌の腹部はほとんど空の状態で性成熟していなかったことからもっと遅い可能性があります。この辺が海外のトンボの難しさでしょうかね。

次回は気になる種についてアップしていきたいと思います。
                     
                生息地の景観 View in a habitat

Anax  immaculifrons female 2019.10.19 ( Taken by Toshi-tyan)

 
Epophthalmia vittata  sundana 2019.10.18 (Photo by Yokoi)

Other dragonflies,
Urothemis signata signata female 2019. 10. 18 (Photo by Miyahata)

 
Tithemis pallidinervis female. 2019.10. 19 (Photo by Miyahata)


Zygonyx iris malayana  2019.10.18 (Photo by Miyahata)

 
                           





















2020年10月16日金曜日

Photo gallery of Lao dragonflies (2)

   Exploration of Laos dragonfly in October 2019 (2/3) 

フォンサバンはラオス中部シェンクワン県の県都で、近年発展が著しい。この一帯は標高1000m前後の高原大地で、周囲を2000m級の山々に囲まれており、多くのラオス固有種が生息しています。シェンクワン高原はベトナム戦争時、米軍の爆撃が最も激しかった地域で、多くの不発弾が現在も残っていて、今もそれによる事故が絶えません。

Phonsavan is located on Xiangkhgang plateau at an altitude of around 1000 m, which is the core city of central Laos and has been developing remarkably in recent years. Many endemic species have been recorded from this area. However Xiangkhgang Plateau was the area most heavily bombed by US troops during the Vietnam War. There are still many unexploded ordnances left, which have caused tragic accidents.

フォンサバン周辺のトンボ                                                                       Dragonflies around Phonsavan

                                                             

上の写真は Phonsavan から南東100km のMuang Mo付近の渓流です。Lak Saoから Phonsavan に向かう途中にあります。この日天気が悪く、ほとんど何も得られませんでした。しかしこの沢には春であれば、珍種 Devadatta glaucinotat が生息しています ( yokoi & Souphanthong, 2014. p30, Plt.7)。深い森林の中を流れる良い沢です。                                       
同じ沢で見つけたカメムシの1種、何かの擬態なのか、面白い形なのでつい撮影してしまいました。はて、なんでしょう?これ。
                                                             
ラオス第2の高峰、Phu Sam Sun (2625m)を望む。中央にわずかに見えるピークが頂上。なかなか頂上を見ることができない山です。Phu Sam Sun の向こう側が目指すシェンクワン高原になります。この山からは多数の注目すべきトンボ類が得られていますが、同時に開発のスピードもすざまじく、山麓にはダムの建設が目白押しです。一刻も早く、トンボ相の調査を進める必要があります。
                                                            



上は山麓1500m付近のミズゴケ湿原。周囲はラオスマツ(ユサン)、ナラ類の落葉樹で、この地域はラオスで珍しいミズゴケ湿原が多数点在し、コケが高層化していて20cmも盛り上がった場所も随所にみられます。湿原内には無数の流れがあります。しかし、残念ながら未だこの地では好天に恵まれたことがなく、高地のため気温は肌寒く天気はガスることが多いのです。この地で得られているサラサヤンマの一種は6月発生と言います。
 (https://www.kahaku.go.jp/research/publication/zoology/download/44_1/BNMNS_A44-1_1.pdf)
日本の連休に行っても見ることはできませんね。今回も天気が悪く、トンボは全く見ることができませんでした。ここは私たちにとって鬼門なんでしょうかね
                                                           
 ようやく夕闇迫るフォンサバンに到着

翌朝のフォンサバン
 

フォンサバンでの定番朝食、上が米粉の平打ち麺、下がお粥で共に鳥のだしが利いておいしい。
 
フォンサバン近くの渓流。フォンサバンがあるシェンクワン高原は、まとまった森林はほとんど残っていないため、森林性トンボの生息に適した河川を見つけること結構困難です。ようやく見つけた場所も、今度は天候との闘いが待っており、ここでも採集日和にあったためしがありません。
                         
               複眼に独特の光彩が現れる Gynacantha saltatrix 2019. 10. 14 (Photo by Miyahata)                 

フォンサバン近郊で、必ず訪れる川は10月という時期が悪かったのか、たまたまいなかったのか分かりませんが、期待したヤンマ類はカトリヤンマ類を確認したのみで、全く期待外れになってしまいました。そこで、急きょシェンクワン高原を取り巻く北側の山々に行ってみることにしました。

                         
Phu San(2217m) の山麓は、森林が多くトンボの姿も多い地域です。前回は9月に訪れ、Megalestes sp., Calopteryx laosica, Caliphaea sp., Vestalis sp., Cephareaeschna sp., Periaeschna sp., Anotogaster gigantica  などこの地で初めて見る多くの種類を確認できました。プーサンでは天気も打って変わって好天が続きました。しかし大いに期待して渓流に踏み入ったのですが、確認できたトンボはわずかに数種で、さすがにここまで来てこの状況では、やはり10月のラオスのトンボはダメなのかと思わざるを得ませんでした。登山道脇の流れに、秋のサナエが多産していました。また、渓流には Aniopleura sp. や Vestalis sp. などが見られましたが、他は何もいません。9月に確認できた多くの種類は姿をすでに消したのでしょうか。
               
            Vestalis sp. 2019. 10.14 ( Photo by Miyahata ) 
               
                                Aniopleura sp. 警戒すると身を石に密着させる。(Photo by Yokoi)
  
                                      Scalmogomphus bistrigatus 2019. 10. 14 (Photo by Miyahata) 

                                  Scalmogomphus dingavani ? 2019. 10. 14 (Photo by Miyahata) 

この後、私たちは今回最大の目的でもあった、ムモンギンヤンマを求めてロンサンそしてヴィエンチャンに転戦しました。
つづく  

Very few dragonflies on the Xiangkhgang plateau in October, revealing differences between Laos and Vietnam.   Scalmogomphus bistrigatus and Scalmogomphus dingavani were very common in Phu San. Scalmogomphus dingavani in this area has slightly different the appendages and thoracic spots, and needs to be examined. We were disappointed that there were too few dragonflies in this area. Two days later, we left for our final destination, Lonsan.
                       









   

Phu Sumsum の Anotogaster

Phu Sumsum   のオニヤンマ  先のページでも触れましたが、ラオスのオニヤンマはなかなか得難いトンボです。これまで、 gigantica , gregoryi , klossi  1) そして chaoi  2) の記録がありますが、得られた個体は僅かで、生息地も数...