2021年3月19日金曜日

Calopteryx laosica (2)

 Which is the real laosica? 

  ラオスでのCalopteryx laosicaの探索は紆余曲折があって、簡単にその姿に迫ることはできませんでした。特に2000年初頭はまだサイソンブン一帯は危険で、近づくこともままならない状況でした。武装して調査に行くなど、今では考えられない状況でした。しかもまだ、生態的な観察について肝心な発生時期や、配偶行動及び産卵など全く観察できていません。できれば今後もこれらを解明するため調査をおこないたいと思います。しかしその一方で、本種には重大な分類上の問題を抱えています。それは本種がどの属に帰属するのかがはっきりしない点です(Hamalainen, 2014において、すでに本種はAtrocalopteryx属であるとされてはいるのですが、そーかなあ、という意味を込めてこのページを書きます

小銃を携行するトンボ採集なんて.... 2001.5 north of Thabok 

 近年リボソームDNA配列を用いたカワトンボ科の分子系統分類の研究が進み、それまでの Calopteryx属が2つに分かれ、あらたにAtrocalopteryx属が設けられました(Dumont & al. , 2005)。しかし、新たな属とCalopteryx属の形態的な判別の基準が必ずしも明確ではなく、属内の種ごとに整合性が完全にはとれていません。さらに片方の属の特徴を有する種が他方の属内に複数存在したりして、属を規定する明確な形態的判断基準が曖昧だという大変不思議な分類体系のもとにそれぞれの属が存在する事態となっています。

 Dumontらの研究は世界中のカワトンボ科47種(亜種は省略)の標本を世界中の研究者から集め、そのDNA配列を調べたものです。そしてその中のCalopteryx属15種中、唯一日本産ハグロトンボ Calopteryx atrata だけに明らかな相違が認められたために、新たにAtrocalopteryx 属を設けてハグロトンボを移したのです。まあ、ここまでは問題がないのですが、彼らは新たに創設したAtrocalopteryx属の明確な形態的特徴を挙げることをしませんでした(挙げたくともあげられなかった?)。彼らは、Selysが示したatrataの形態的特徴をそのままこの論文で踏襲しました。その後、主に翅脈の特徴(これとて本来は厳密な区分基準にはならないのだけど)で、東南アジア、中国から2,3のAtrocalopteryx 属の新種が記載されました。さらに2014年にHamalainen博士は、Dumontらの研究で曖昧だった両属の形態的な差異を追究にして(下に引用)、新たに1新種を記載し、さらにlaosicaをAtrocalopteryx属に移しました。この結果、Atrocalopteryx 属は東南アジア、中国南部を主に分布域とする8種から成ることを紹介しました。以来、ラオスのlaosica はAtrocalopteryx laosecaと改名され、一般に用いられるようになっています。

                                             CalopteryxとAtrocalopteryx 属の比較ポイント 
                                       Comparison points of Calopteryx and Atrocalopteryx genera from HÄMÄLÄINEN (2014) 

各翅脈の呼び名は時代と共に変わっており、結構面倒です。以下にミヤマカワトンボの翅脈を使って各呼び名を示しました。
                                                                                                
                                       Calopteryx cornelia venation (basal potion of fore wing)

  しかし、Hamlainen博士の挙げた区別点も、これだけで明確に両者の属を分けられるかというと、博士自身も認めているように、形態的な部分のみでの区別は難しいのではないかと思います。しかし、なぜか博士はことlaosicaについては自信を持ってAtrocalopteryx属だと言い切っているのです。博士が挙げた3つ根拠は以下のとおりです。

 1)  翅脈 IR2が他と交わらない。2)postocular tubercles を持たない。3)中、後脚の脛節がわずかに湾曲する点です。博士はlaosicaのタイプ標本とベトナム産のlaosica複数を材料に検討しました。しかし、このベトナム産の laosica はラオスのものとはかなり異なる印象を受けます。さらに1)は個体変異もあって、博士自身も認めているように、なかなか判断が難しいところです。ラオス産の個体をいくつか図示しますが、変異幅はむしろ小さく、この部分を見る限り逆にlaosicaはAtrocalopteryxよりはCalopteryx属そのものであるといえるのではないでしょうか。調査した複数のベトナム産標本が1)で述べた特徴を持つのであれば、それらはlaosicaではないのではないでしょうか?また大英博物館も最近はいろいろ問題があって、タイプ標本のローンはあまりしないようなので、この辺の影響もあるのかな(実際には写真でしか見ていない?)、と勝手に考えてしまいます。この部分をCalopteryx属であるミヤマカワトンボと比較するとミヤマカワトンボが逆にAtrocalopteryx属の特徴を持つことが分かります(写真下)。どーなってんの?                                                                                                        

ラオス産laosica♂の後翅の翅脈変異(矢印の部分注目)
Lao laosica ♂ hind wing vein variation (note the arrow, IR2)

                                       翅脈の比較(赤丸部分)、左 ミヤマカワトンボ♂、右  laosica♂
                                    Comparison of wing veins (red circle), left Calopteryx cornelia ♂, right laosica ♂                      

 2)は両属にあったりなかったりするので、これは判別の基準にはならないと思います。ちなみにミヤマカワトンボはlaosica 同様ありません。3)は博士が最も Atrocalopteryx 属の特徴を示すものとしている部分ですが、Dumont らは分析に供したミヤマカワトンボをCalopteryx 属としましたから、この部分は直線でなければなりません。しかし見方によっては明らかに脛節が湾曲していて、脛節も完全に属を分けるキーにはなりません(下図)。ある意味で脛節が湾曲するのは生物学的にあるいは力学的に当然なのかと思います。湾曲することで強度が保たれる。ここが真っ直ぐなわけがないと思います。また、静止する場合、ここが湾曲することで、接地面への体重の加重率が高くなって、より安定して静止できるとも考えられます。

                   見る位置で脛節が直線だったり湾曲して見えることが分かる。 ミヤマカワトンボ♂
             Even in Calopteryx cornlia ♂, tibia looks bent at the viewing position

   最近の研究ではAtrocalopteryx属から、さらに新属が分かれる系統樹が提示されるなど、このCalopteryx及びAtrocalopteryx属は今後もかなり分類学的に動きがありそうです。結論的には全ての種でDNA解析と形態的な突合せを行わないと、はっきりしたこと(せめて傾向でも)は言えないのかも知れません。

 2014年にラオスのリストを刊行した際に、このlaosicaの所属をDumont やHamalainenに従って、Atrocalopteryxにしようか迷いました。しかし、両者を明確に分ける線が引けないことと、laosicaの翅脈がよりCalopteryx属の特徴に合致していたため、あえてそのままのCalopteryx属にしておいた経緯がありました。

 最後に今回もToshi-Tyan、宮畑さんの御両名には標本写真や野外写真の提供さらに分類に関するコメントを頂きました。感謝いたします。

When I published A list of Lao Odonata in 2014, I had a hard time deciding whether to change the affiliation of this laosica to the genus Atrocalopteryx according to the classification of Dumont and Hamalainen. However, it was not possible to clearly distinguish between the two genus, and the veins of the laosica were more consistent with the characteristics of the genus Calopteryx, so I dared to leave them in the genus Calopteryx.

Hamalainen examined using the type specimen and multiple laosica specimens from Vietnam, and concluded that laosica was included in the genus Atrocalopteryx. Since then, it has become common for Calopteryx laosica to be Atrocalopteryx laosica.

However, when I actually examined the true laosica from Hamlainen's point of view, it seemed that laosica would be more suitable for the genus Calopteryx.


以下の文献を主に参考にしました。

Dumont, H.J., Vanfleteren, J.R., De Jonckheere, J.F. & Weekers, P.H.H. (2005) Phylogenetic relationships, divergence time estimation, and global biogeographic patterns of calopterygoid damselflies (Odonata, Zygoptera) inferred from ribosomal DNA sequences. Systematic Biology, 54, 347–362.

Hämäläinen, M. (2014) Atrocalopteryx auco spec. nov. from Vietnam, with taxonomic notes on its congeners (Odonata: Calopterygidae), Zootaxa, 3793 (5): 561–572.

Selys Longchamps, E. de & Hagen, H.A. (1854) Monographie des Caloptérygines. Mémoires de la Société Royale des Sciences de Liége, 9, i-xi + 1–291, pls. 1–14, excl.












  


                      

           

                                


      


















2021年3月9日火曜日

Far in search of Calopteryx laosica(1)

 Calopteryx laosica

 ある縁で1996年に初めてラオスを訪れて以来、あっという間に20年以上もたってしまいました。当時ラオスはまだ個人旅行が許されず、身分をラオスにある日本の会社のスタッフとして、ビザを得て入国していました。当時のラオスは、ビエンチャンの国際空港も奇抜な青で塗られた木造の建物で、到着すると入国審査の傍ら、出迎えの友人がどんどん荷物を運んで入国審査も税関もまるでないような、今では考えられないようなおおらかな国でした。市内には信号機が1つもなく、走っている自動車もほとんどありませんでした。

 当時私はラオスのトンボについて何も知識がありませんでした。英国のFraserが1933年に発表したDragonflies from the Laos Country が唯一の教科書となりました。FraserはDr Kerrがラオスで得たトンボ類95頭を基にこの論文を書きました。このなかにCalopteryx laosicaというラオスの名が付いたミヤマカワトンボがありました。私はラオスに通うにつれ、しだいにこの魅力的な名前に魅かれるようになり、どうしても laosicaを採集したい気持ちが強くなっていきました。しかし、訪れる先先でその姿はおろか、気配すら感ずることはできませんでした。ミヤマカワトンボとしては、かなり早春に出現する種のようで、4月の連休のラオス訪問はまさにぴったりの時期なのですが、全く出会えずいつの間にか15年以上の年月が経ってしまいました。

                     

           Type specimen of laosica published by the Natural History Museum

                      Position of Mt. Bia on the map

 大英自然史博物館に所蔵されているlaosicaには17/4/1932, Muang Cha, 1100mのラベルが付いています。産地のMuang Chaはどうやらサイソンブン県の県都 Cha のようだとはわかりましたが、Dr Kerrのたどった行程が判ればもっと具体的な知見が得られるのではないかと思い、Kerrについて調べました。2000年にはグーグルなどのWeb検索ができるようになってきましたから。するとKerr, A.F.G. 1933a. A trip to Pu Bia in French Laos. J. Siam Soc., Nat. Hist. Suppl. 9(2): 193-223.がヒットしました。まさしくKerrの探検記です。早速大英図書館からコピーを入手(現在、この雑誌はPDFでネットに無料で公開されています)しました。Dr Kerrは英国の著名なランの研究者で、フランス領ラオスの最高峰のビア山(Bia, 2919m ) で新種のランを探すのを目的として探検隊を組織しました。   
 当時の英国はこの地域の詳しい情報を持っていなかったようで、彼はフランス陸軍から地図の提供を受けたと述べています。とにかく、1932年とはいえ、未開の地であったラオスの最深部に徒歩で向かうのですから大探検だったと思います。しかもラン採取のためだけに。コレクションにかける情熱は古今東西を問わず何時でも同じなのですね。彼は3月26日にメコン川を渡って初めてラオスのパクサンに上陸しました。そして現在はパクサン~シェンクワン間の主要国道になっていますが、多分この旧道に沿って北上し、私たちがPhu Sam Sun に入る拠点のタットムに4月3日に到着しています。すごい健脚です。さらに現在もこのルートが主要幹線になっているのだと思いますが、タットムから左に折れる道 をサイソンブンのChaに向かいました。そして10日後の4月13日に目指すBia山に到達しています。

 付属している地図を見ると、彼らはビア山から下山途中、Cha のすぐ北にあるBang Haoで15-18日にかけて宿営していることが分かりますから、17日採集のLaosicaはまさにこの周辺の川で採集されたに違いありません。ではラベルにあったChaはというと、何と地図上に放棄されたと但し書きされていました。廃墟だったのですね。そしてここに滞在したような記録はありませんでした。ようやく手がかりがつかめてきました。早速、この年の連休に現地を探索することにしました。

 しかし、思わぬ障害が立ちふさがり、残念ながらこの年 Chaには行くことができませんでした。以前からPhu Bia はベトナム戦争時代、アメリカ側に立って山岳戦を展開してきたモン族ゲリラの拠点となっており、しばしば麓の Cha に対峙しているラオス正規軍に対してゲリラ戦を仕掛け、また、周辺部の道路などで走行中の車両を待ち伏せ攻撃するなど緊張が絶えませんでした。私も友人に現地で情報を得てもらうために、Cha に行ってもらったことがありましたが、市街戦に巻き込まれ、死ぬ思いで逃げ帰ってきたことがありました。2005年になってようやく、現地の情勢が落ち着いてきたのを見計らって再び友人に、偵察・探索に行ってもらいました。 しかし、相変わらずCha から Bia 山に向かう道路は軍が閉鎖していて近づけないことがわかり、laosicaの採集地には行くことができませんでした。そこで町の東にある唯一の渓流で探索をお願いしました。この渓流ではその後、4~5月に2年間通ったのですが、laosicaは全く得られず、その後 laosica 探索は行き詰ってしまいました。

 ミヤマカワトンボは日本で6~7月のトンボです。もしかしたらもっと遅いのではとToshi-Tyanさんと話し合いました。そこで再び現地の友人にお願いして、今度は7月上旬に行ってもらうことにしました。忘れもしません。2011年7月6日、連絡が待ち遠しく、今か今かとそわそわしながら待っていました。またダメなのか、やはりBia山の方にしかいないのかとか、とにかく落ち着きませんでした。予定日を過ぎても友人からは連絡はありません。ビエンチャンにもう帰っているはずで、どうしたんだろうと思った矢先、先方から連絡が入って、ペアを複数採集したと。やった!すぐに画像が送られてきました。Toshi-Thanさんに連絡し喜びを分かち合いました。Kerr が laosica を得てから79年ぶりに再発見となったわけで、しかも初めてのメスも採集することができたのです。しかし採集状況を聞くと、どうも納得がいきませんでした。見られる場所は渓流わきの小高い丘の斜面の灌木類の葉上だといいます。決して渓流には降りてこないと言います。はて?採集はお昼頃です。数は少なく、翌日は見なかったと言います。良くわかりません。まだ若い個体なのでしょうか?そんなに数が少ないのでしょうか。どうなっているのでしょう、とにかく実際に現地で見てみなくてはなりません。

                    

            Female of Calopteryx laosica, maybe the female is shown for the first time. 

 しかし翌年、また現地情勢が悪化して行くことができず、結局、実際にToshi-Tyanさんとlaosicaの採集地を訪れたのは2013年の7月でした。Chaの町に入る手前に大きな川(Nam Cha)があります。この川に沿ってPhu Biaに向かう細い山道が続いています。道とは名ばかりで、とても普通の車で走破できる状態ではなく、軍用車両でしか行くことはできません。すこしでもPhu Biaに近づきたいと川沿いに歩いて写真を撮りました。Phu Biaはまだまだ先に行かないと見れないとのことでした。78年前のkirr隊もこの荒れた道を辿ったのでしょう。何か感慨深いものがあります。ラオスに初めて来てから17年の年月が経っていました。                    

                            Cha River flowing in front of Cha. 
                                                          
                                                                    Mt. Bia is far away.
                                                                                  
                  
Market in the rain.     
   
 翌日、朝から雨、それでも町の東はずれにある川に向かいました。この川の河岸には牛がそこら中にいて、樹林帯ではありましたが、山道にはヒルがたくさんいて、悩まされました。小雨の中を草をかきわけ上流に向かいます。もうびしょ濡れです。友人たちがlaosicaを採集した場所は何の変哲もない川沿いの斜面で、上がなだらかな耕作地になっていました。これは日本のミヤマカワトンボの生息環境とほとんど変わりません。そうこうしているうちに薄日が差し、心持気温が上がってきたような気がしました。

        
                    Habitat of laosica, 12/7/2013, east of Cha.

                                                                           
                 Walk forward while being attacked by numerous leeches.
                 
                           
                     laosica point, habitat is not a very deep forest zone.

                                                                            
                          Finally able to meet him! 17/7/2013, Cha.

 
一瞬、陽が射しました。それまでの憂鬱な雨に濡れた樹木の葉が、一気に輝くような緑に変わりました。そして、いきなり目の前の木の葉の上に夢にまで見たあのlaosicaが降り立ったのでした。慌ててカメラを取り出して撮影しました。laosicaは数十秒しか止まっておらず、すぐに樹上に上がってしまいました。結局写真は3枚しか撮れず、2枚はピンボケで残った唯一の1枚が何とかlaosicaの姿を捉えました。まさに一瞬の奇跡でした。撮影時には気が付かなかったのですが、写真を見ると、この雄は尾っぽを上に反らせ、まるでミヤマカワトンボのようです。すでに成熟しているように思えました。しかし、確認できたのはこの1頭だけで、その後再び雨天となって、二度と誰もその姿を見ることはありませんでした。

 Fraserの記録は4月で、この4月採集ということが頭にあって、長い期間惑わされてきました。ようやくこのトンボの実体に迫れることができると期待しました。しかし、翌年の2014年からまたCha周辺で激しい戦闘が始まり、以後この地域に入域はままならなくなりました。また、これです。どうしていつも、いつもこうなるのだろう。あまりの運のなさに地団駄を踏んでいると、何とこの年の9月にChaから100km北に位置するPhu Sanの山麓の小さな渓流から友人たちによって、本種が多数得られたのです。あまりに遅い時期なので、半信半疑で送られてきた写真を見ました。かなりの個体数だったらしく、当の本人たちも散々探し求めたCha の laosica と同じ種類なのか自信が持てなかったようです。写真は確かにlaosica で、9月にこれほど居たという事は一体どういうことなのでしょう。年2回発生するのでしょうか?

 私は2016年、Miyahataさん、Toshi-Tyanさんと感謝すべき友人たちと一緒に、9月下旬に現地を訪れました。あれほど苦労に苦労を重ね、やっとのことで巡り合ったlaosicaは、ここでは渓流に降り立った場所にすでに数頭が居ると言ったぐあいで、全く拍子抜けしてしまいました。何事も万事こんなもんなんでしょうかね?これを見る限りlaosicaは完全に普通種です。全く時期違いな時に、居るはずもない場所を10年以上探し回っていたわけで、laosicaは4月と思い込んでいた私たちは、出会いまでに10年という高い代償を払わされたのでした。
                    
         Take a picture of the laosica perched on a stone, Phu San ( Photo by Miyahata)
                                  
          A male watching over the territory (Photo by Miyahata).

          When the sun goes down, the body sticks to the stone.

                                                             
                                            
Various male wings (Photo by Toshi-Tyan).  
           


つづく


















Phu Sumsum の Anotogaster

Phu Sumsum   のオニヤンマ  先のページでも触れましたが、ラオスのオニヤンマはなかなか得難いトンボです。これまで、 gigantica , gregoryi , klossi  1) そして chaoi  2) の記録がありますが、得られた個体は僅かで、生息地も数...